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「漱石」展に行ったら、気合が入りました(笑)

100年目に出会う夏目漱石
神奈川近代文学館



私は夏目漱石の、初期の作品が好きです
一般的な評価は…
「心」など晩年の暗い作品のほうが、断然人気があるのですが…
 
初期の作品の…
「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「草枕」「坑夫」「三四郎」などは
ユーモアあふれる、軽いタッチの作品なので
私は…
天才の漱石は、スラスラ~一気に書き上げた作品だと思っていました
 
最近も「坑夫」や「草枕」を読んで、吹き出したものです




自宅の書斎の漱石


神奈川近代文学館の展示・漱石の書斎・漱石山房
 
積み上げられた本の量は…私には衝撃的でした
漱石ほどの人でも
こんなに本にかこまれて執筆していたんだと思うと…
私だったら…もっとしっかり本を読まなければ…
論文、書けなぁ~い
と青ざめながらも…気合が入った
のでした(笑)

1907年…
漱石は大学教師から朝日新聞社の専属作家に転身します
そして、この「漱石山房」のある早稲田の家に移り住みました
それから亡くなるまでの約10年間、ここで作家活動をしたのです
たった10年間で、あれだけの作品を書き上げたのですね~

漱石は…「書斎の人」と言われるくらい、書斎にこもっていたそうです
そんな生活って…体に悪いですね~
職業作家にならないほうが…長生きできたかも
学生相手に「ザット」「イット」を言うのも、案外…健康的だったかも
なんて…テキトーなことを私は考えてしまったのでした(笑)
もちろん、漱石は…
職業作家になったことを喜んでいるのですが…
 
≪夏目漱石「入社の辞」より≫
 学生相手に大学では講師として年俸八百円を頂戴していた。子供が多くて、家賃が高くて八百円では到底暮せない。仕方がないから他に二三軒の学校をかけあるいて、ようやくその日を送って居た。いかな漱石もこう奔命につかれては神経衰弱になる。その上多少の述作はやらなければならない。酔興に述作をするからだと云うなら云わせて置くが、近来の漱石は何か書かないと生きている気がしないのである。それだけではない。教えるため、又は修養のため書物も読まなければ世間へ対して面目がない。漱石は以上の事情によって神経衰弱に陥ったのである。
新聞社の方では教師としてかせぐ事を禁じられた。そのかわり米塩の資に窮せぬ位の給料をくれる。食ってさえ行かれれば、何を苦しんでザットのイットのを振り回す必要があろう。やめるとなと云ってもやめて仕舞う。やめた翌日から急に脊中が軽くなって、肺臓に未曾有の多量な空気が這入って来た

漱石は入社の前年…1906年
「坊っちゃん」を書いた年に…
次のような手紙を、高浜虚子に書いています

≪高浜虚子「漱石氏と私」より≫
スルと奇体なものにて十分に三十秒位ずつ何だか漫然と感興が湧いて参り候。ただ漫然と湧くのだからどうせまとまらない。然し十分に三十秒位だから沢山なものに候。この漫然たるものを一々引きのばして長いものに出かす時日と根気があれば日本一の大文豪に候。このうちにて物になるのは百に一つ位に候。草花の種でも千万粒のうち一つ位が生育するものに候。然しとにかく妙な気分になり候。小生はこれを称して人工的インスピレーションとなづけ候。 
 


≪のりちゃん訳≫
10分に30秒くらい、自分で人工的インスピレーションと名づけたものが浮かんでくる。
ただ、とりとめもなく湧いてくるのだからまとまらない。
でも、10分に30秒くらいだから、たくさんである。
これをひとつひとつ引きのばして長いものにする根気があれば、日本一の文豪である。
このうち、物になるのは百に一つくらいか?
とにかく、このインスピレーションは妙な気分になる。


漱石も…
「徒然草」の兼好のような思いだったのかなぁ…http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s324.gif 


日ぐらし、硯にむかひて、
心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば…
あやしうこそものぐるほしけれ
「徒然草」序段より 


≪のりちゃん訳≫
一日中…書斎の硯にむかって
心に浮かんでくるいろんなことを、とりとめもなく書いていけば…
妙な気分になって、生きているぅ~って思う


1911年…
文部省が漱石に博士号を授与するのですが、漱石はそれを辞退します
「ただの夏目なにがしとして暮らしたい」
という辞退の手紙は
小説を書くのに使っていた原稿用紙に…ペン書きでした

ナントモ…かっこいいですぅ

1984年…夏目漱石の千円札が発行されたとき…
漱石はお札になることを喜んでいない
 
という意見が多かったのを思い出しました
文部省の博士号を断った漱石を、大蔵省はお札にしたのですね~(笑)


夏目漱石の千円札

日本のお札を撮影するのは初めてなので…ドキドキしました(笑)
念のため…イルカ君にも同席
してもらいました
一応調べてみると…そんなに気を使わなくてもよかったようです(笑)

≪財務省HPより≫
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今から100年前の…1916年11月22日
漱石は、書斎の「漱石山房」で倒れました
机の上に突っ伏していたのを、お手伝いさんがみつけたのです
机の上には連載中の「明暗」の原稿用紙が…
189
と…回数だけ書いてありました
そして…二度と起きあがれないまま…12月9日永眠…49歳でした
 
「明暗」の原稿は、188回まで書いてありました
そのため、漱石死後も「明暗」の連載は続きました
そして、12月26日…「明暗」の最終回が新聞に掲載されたのでした
 
壮絶な死~命を削った作家活動です~

。。。。。
 
展示の中にあった、芥川賞作家「奥泉光」さんの言葉が印象的でした

漱石は1911年に行った講演「現代日本の開化」で、文明発展への欲望にかられ、倒れるまで働く日本人について「随分悲酸な国民と云はなければならない」と述べた。同じ年には、文部省が授与した博士号を固辞した。間違った社会を批判する立場にあるべき学者が、国がつくった地位を得るために躍起になる風潮を強く憎んだのだ。学生に向けた講演「私の個人主義」では、権力や金力は他人の個性を圧迫する非常に危険な道具であり、「自己の個性の発展を仕遂げやうと思ふならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない」と呼びかけた。
混沌とした社会に生きる人びとの不安は、今日ますます深まっている。個人が幸福にいきるためにはどうすれば良いのか。漱石が語った文明論は、現代においてますます大きな意味を持つ。

夏目漱石って立派な人だったのですね~
数十年前…私が卒論に書いた作家です






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コメント

No title

> じーぞうさん、
すごっ!!鏡子夫人からの連想が、松岡譲ですか!?
じーぞうさんも、旅だけでなく漱石もお好きなんですね(^^)

No title

漱石最晩年に、長女筆子の関係で松岡譲の故郷を何回か訪れていたことを思い出しました。
ノリちゃん年表で新たな発見です。

No title

> じーぞうさん
図書館にオネガイですか?万能の神サマにではなく(笑)
私は、奥サマのほうの、「漱石の想い出」(夏目鏡子著)が読みたくなりました。

No title

ノリちゃん訳・・・わかりやすく大変参考になりました。
本日、半藤末利子著「夏目家の糠みそ」を読みたくなり、図書館にネット申し込みをしました。

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