私の大垣への旅の目的は
奥の細道むすびの地・記念館に
行くことにありました
奥の細道むすびの地・記念館は
大垣駅から運河沿いの遊歩道を歩くと到着します
2キロくらいの道のりです
運河沿いの遊歩道には
芭蕉が江戸を出発してから作った
奥の細道の句碑が
順番にありました
ひとつひとつ
奥の細道の俳句を読みながら
奥の細道むすびの地・記念館まで歩くと
芭蕉の奥の細道の旅が
実感できました
遊歩道は
お堀のなごりを残し
そこかしこに
湧水やら滝(人工の)やらあって
桜の季節ではなかったけれど
目を楽しませてくれました
観光案内所で
「記念館までの、バスはないんですかぁ~?」
と不満げに尋ねたことを
すっかり忘れている自分がいました(笑)
大垣駅から奥の細道むすびの地・記念館までは
2キロほどの道のりでしたが。。。
途中で湧水の道草を食っていたので(笑)。。。
1時間以上かかって
記念館に到着しました
この日は。。。
東京から、福井⇒敦賀。。。とまわった旅の最終日なので
さすがに。。。
けっこう。。。
疲れがたまっていました(笑)
奥の細道むすびの地・記念館は
どうせ(失礼)
松尾芭蕉の記念館です
たぶん
奥の細道の○○本のレプリカが展示してあったり。。。
芭蕉が宿泊した場所の絵があったり。。。
大垣までの旅程の説明があるくらいでしょう。。。
1時間もあれば、十分な内容でしょう。。。
と
このように思ったのが
大・大・大失敗!でした!!!!!!
奥の細道むすびの地・記念館には
200インチのスクリーンでの3D映像がありました
30分ごとかな?上映されます
まず展示を見ながら
スクリーン上映の時間を待ちました
しかし。。。
展示もなかなか・・・どころか
すごく
すばらしく良くて。。。
展示にも
映像がドッサリでした
展示の映像は
奥の細道を
Google Earthで空から・・宇宙から追う ものでした
道を追った後で
芭蕉が句を詠んだ場所がアップになり
石碑などが現れます
日光の道・奥州の道など
奥の細道が5分割くらいに分かれていて
それぞれの道を見るのに、15分くらいかかります
全部見ると展示の映像だけでも1時間以上!?
展示の映像を見ながら
私は
実際に行ったところを思い出したり
次に行くところを想像したりしました
また展示には
奥の細道の本の実物大のレプリカがあり
実際に手に触れることができるのも感動でした
映像といっても展示なので
文章での説明も展示してありました
それもけっこう
わかりやすい内容で
おもしろくみることができました
展示も
もっとじっくり見たかったのだけど
展示の内容はきっとパンフレットに書いてあるだろう
そう思って
スクリーンはここでしか見られないからまずスクリーンを見よう
そう思いました
で
スクリーンを見に行ったのですが。。。
座ってしばらく見ていたのですが。。。
不覚にも。。。
平泉の部分で寝てしまいました(笑)
一番のクライマックスを!!!!
で
次の上映時間に見逃したところを見ようと
もう一度行くと
ナント
同じ映像ではなかったのです
展示もみたい
スクリーンも見たい
でも
刻々と
閉館時間は迫ってきます
ああ
時間がない(T_T)
時間がない(T_T)
あっと言う間に
閉館時間の5時になってしまいました
私は受付の人に尋ねました
パンフレットないですか?
展示の説明が載っているような。。。
私は、図書コーナーに案内されました
図書コーナーは、まだ開いているようです
しかし
自分が求める本がわからない
再び受付の方に尋ねました
しつこい来館者に(笑)
受付の方は学芸員の方を呼んできてくださいました
それから1時間。。。
すでに閉館した記念館の展示場で
私は学芸員の方から
奥の細道や松尾芭蕉のお話を聞くことができたのです
コレって
スゴイと思いません?
なんの肩書きもない
アポイントメントもない
若くて美人でもない(笑)
個人の来館者が
専門家からお話をしていただくことができたのですから(笑)
きっと。。。学芸員の方のお人柄なんでしょうねぇ~
私は学芸員の方にも
同じことを尋ねました
パンフレットないですか?
展示の説明がそのまま載っているような。。。
私の質問に対し学芸員の方はおっしゃいました
そのようなものはありません
そのようなパンフレットがあったら
この記念館は必要ないでしょう?
私たちはこの記念館に来てもらいたいのです
ノートならあります
そのノートに展示の説明を自分で書き込むようになっています
また来てください
名古屋から30分です
やられたぁ。。。と思いました
それから1時間。。。
学芸員の方は
たくさんのお話をしてくださったのです
奥の細道むすびの地・記念館が
芭蕉が大垣で宿泊した跡地に
作られているってこと
なぜ
芭蕉は大垣を奥の細道のむすびの地に
選んだのかということ
奥の細道の本の大きさにも
芭蕉のこだわりがあるということ
(だから手に触れることができる展示を作られたのでしょうかねぇ?)
などなど。。。
芭蕉の時代
大垣はとても勢いがたあった
新しい町だったようです
新しい文学を生みだそうとしている芭蕉を受け入れてくれるのは
歴史ある古い町でなく
大垣のような新しい町だったのです
大垣では芭蕉は
大切に受け入れられたようです
そのため芭蕉の書簡は大垣にたくさん残っているようです
そんな自分を大切に迎えてくれる
自分とって大切な町・大垣を
芭蕉はむすびの地に選んだのです
こだわって。。こだわって。。。
むすびの地として選んだ町が
大垣だったのです
しかも
大垣は水の都です
奥の細道の旅のスタートを
深川から舟で出発した芭蕉にとって奥の細道の旅のむすびは
どうしても
舟でむすぶ必要があったのです
私は大垣に来て
はじめて奥の細道での
大垣の重要性がわかりました
学芸員の方はこんな話もしてくださいました
芭蕉の奥の細道の旅の目的は
古人の歌枕をたどることと
人との交流だったのです
それを聞いて私ははっ!としました
今回の私の旅も
人との交流が
とても貴重な体験につながりました
あわら温泉屋台村での交流から
福島ファンになったこと(笑)
伊吹山のオジ様との交流から
百人一首の藤原実方につながり
それが
大垣の運河の芭蕉句碑につながったこと
そして最後は
奥の細道むすびの地・記念館の学芸員の方から
興味深い話をたくさん聞くことができたこと
今回の旅は
永平寺旅行を思い立った私が
永平寺の後で海辺をドライブしたい!と思いついたことから
奥の細道後半の旅につながり。。。
どうせなら
大垣まで行っちゃえ!!
という気まぐれ旅行だったのですが。。。
それが
人との交流から
めちゃくちゃ得をした気分を味わえた
深い旅になったのでした
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