満足を得る「方法」と満足する「生き方」:吾輩は猫である⑤
- 2023/08/12
- 00:05
「不愉快・かんしゃく・不平」の無い生活を送っている
「哲学者先生」が…
「不愉快・かんしゃく・不平」だらけの
悩める「主人」に
言ったコトは…
㊟
とりあえず…小さい字は飛ばして読んでください👇ーー😁ーー
ぴん助やきしゃごが
何を言ったって知らん顔をしておればいいじゃないか。
どうせくだらんのだから。
中学の生徒なんかかまう価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、けんかをしてもその妨害はとれんのじゃないか。僕はそういう点になると西洋人より昔の日本人の方がよほどえらいと思う。西洋人のやり方は積極的々々々といって近ごろだいぶはやるが、あれは大なる欠点をもっているよ。第一積極的といったって際限がない話だ。いつまで積極的にやり通したって、満足という域とか完全という境にいけるものじゃない。向こう に檜があるだろう。あれが目ざわりになるから取り払う。とその向こうの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家がしゃくにさわる。どこまで行っても際限のない話さ。西洋人のやり口はみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。人が気に食わん、けんかをする、先方が閉口しない、法廷へ訴える、法廷で勝つ、それで落着と思うのは間違いさ。心の落着は死ぬまであせったって片づくことがあるものか。寡人政治がいかんから、代議政体にする。代議政体がいかんから、また何かをしたくなる。川が生意気だって橋をかける、山が気に食わんといってトンネルを堀る。交通がめんどうだといって鉄道をしく。それで永久満足ができるものじゃない。さればといって人間だものどこまで積極的に我意を通すことができるものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大いに違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものという一大仮定のもとに発達しているのだ。親子の関係がおもしろくないといって欧州人のようにこの関係を改良して落ち付きをとろうとするのではない。親子の関係は在来のままでとうてい動かすことができんものとして、その関係のもとに安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間がらもそのとおり、武士町人の区別もそのとおり、自然そのものを見るのもそのとおり。――山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すという考えを起こすかわりに隣国へ行かんでも困らないというくふうをする。山を越さなくとも満足だという心持ちを養成するのだ。それだから君見たまえ。禅家でも儒家でもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日をめぐらすことも、加茂川を逆に流すこともできない。ただできるものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、今戸焼きの狸でも構わんでおられそうなものだ。ぴん助なんか愚なことを言ったらこのばかやろうとすましておけば子細なかおる。なんでも昔の坊主は人に切りつけられた時電光影裏に春風を斬るとか、なんとかしゃれたことを言ったという話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用ができるのじゃないかしらん。ぼくなんか、そんなむずかしいことはわからないが、とにかく西洋人ふうの積極主義ばかりがいいと思うのは少々誤っているようだ。現に君がいくら積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしに来るのをどうすることもできないじゃないか。君の権力であの学校を閉鎖するか、または先方が警察に訴えるだけの悪い事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たったて勝てっこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問題になる。多勢に無勢の問題になる。換言すると君が金持に頭を下げなければならんということになる。衆をたのむ子供に恐れ入らなければならんということになる。君のような貧乏人でしかもたった一人で積極的にけんかをしようというのがそもそも君の不平の種さ。
どうだい分ったかい
引用p299-p301
『吾輩は猫である』夏目漱石
角川文庫
発行:昭和54年43版
👆ココを読んで…
ココの~少し前の「やり取り」を
思い出した



「吾輩」ニャンコの「主人」が…
「哲学者先生」に愚痴ったトキ…
ぼくは不愉快で、
かんしゃくが起こってたまらん。
どっち向いても不平ばかりだ
「主人」が
こんなふーに👆
愚痴ったトキ…
「哲学者」カウンセラーは…
軽~~く…返したんだ
不平もいいさ。
不平が起こったら起こしてしまえば当分はいい心持ちになれる。
人間はいろいろだから、
そう自分のように人にもなれと勧めたって、
なれるものではない。
人に対して
不愉快に感じたとき…
自分だったら~ソンナコトしないっ

ソー思って
ムカついて
かんしゃくが起きる
でも…
ソレって
間違い
だったんだ

とりあえず
怒ってもいい
ソコは…我慢しちゃア…いけない
でも…ね
人に対して
自分のように人にもなれ
こんなふーに思っちゃあ…いけないんだ
こんなふーに思うから…不平が起きるんだ
不平が起きるってコトは…満足デキナイってこと
満足するヽ(^o^)丿ほうが…気分いいし~
満足する🙌ほうが…幸せ♥だと思うんだ
「哲学者先生」が…
「不愉快・かんしゃく・不平」だらけの
悩める「主人」に
言うには…
西洋人のやり方は積極的々々々といって近ごろだいぶはやるが、あれは大なる欠点をもっているよ。
第一積極的といったって際限がない話だ。
いつまで積極的にやり通したって、
満足という域とか完全という境にいけるものじゃない。

「哲学者先生」は
こんな「たとえ話」👇をする
あれが目ざわりになるから取り払う。
とその向こうの下宿屋がまた邪魔になる。
下宿屋を退去させると、その次の家がしゃくにさわる。
どこまで行っても際限のない話さ。
満足を求めて…
積極的に❕
1つの「不平」を取り除いた
ところが
1つの「不平」を取り除くことで
新たな「不平」が生まれる
際限のない話さ
…と「哲学者先生」は言うんだ
西洋人のやり口はみんなこれさ。
ナポレオンでも、アレキサンダーでも
勝って満足したものは一人もないんだよ。
人が気に食わん、けんかをする、先方が閉口しない、法廷へ訴える、法廷で勝つ、
それで落着と思うのは間違いさ。
心の落着は死ぬまであせったって片づくことがあるものか。
どんなに
力のアル人だって
お金のアル人だって
勝って満足したものは一人もない
心の落着は
死ぬまであせったって片づくことがあるものか。
「哲学者先生」は…
さらに…つづける
コノヘンのクダリも👇スゴイと思ったーー😲ーー
川が生意気だって橋をかける、
山が気に食わんといってトンネルを堀る。
交通がめんどうだといって鉄道をしく。
それで永久満足ができるものじゃない。
コノヘンのクダリ👆スゴイ😲
現代にも通じるよねーー😔ーー
橋をかけて水の流れを妨害して
水害が起きてるし~
鉄道をしいて
「普通列車」が「新幹線」になって
ソレでも満足できなくて
さらに
「リニアモーターカー」計画&実現で~
「トラブル」続出「不平」頻出だよねーー
リニアだって
九州新幹線だって
ご近所の県同士なのに
「争いごと」を作ったよねーー
超・積極的に「不平」を取り除くコトで
大きな「不平」=「争いごと」が出現してるんだ
トーゼン
漱石は…
🚅新幹線💨💨ナンテ知らないハズ(笑)
㊟
夏目漱石
1867年生-1916年没
㊟
東海道新幹線開業
1964年10月1日

「明治村」夏目漱石の住居 撮影:2023年3月31日
夏目漱石が
『吾輩は猫である』を執筆した書斎
じゃあ…
どうやって~
~

満足を求めればいいのか❓
山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すという考えを起こすかわりに
隣国へ行かんでも困らないというくふうをする。
山を越さなくとも満足だという心持ちを養成するのだ。
ココを読んだとき…
ハッ😲としたねーー
山を越さなくとも満足だという心持ちを養成するのだ。
ソーナンダヨ…😢
のりちゃん
コーイウ生き方を心がけていた…つもりだったんだ
くふうをする生き方をね…
ソレが…
コロナ禍で…
すっかり
自分を
見失っていた😢
『吾輩は猫である』の最初のブログのタイトルに
こんなふーに書いたのは…
『吾輩は猫である』の「哲学者」の「言葉」を読んで…📖…
自分を見失っていた…コトに
気づかされたから――――。
=つづく=
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