「明治村」での「吾輩は猫である」の文学散歩
- 2023/04/19
- 00:05
「明治村」に行くことになってから__🚄💨
私はまた
『吾輩は猫である』を📖読み始めました
「明治村」に行って…
『吾輩は猫である』の舞台である…夏目漱石の家を_🏠__
実際に見て=👀=
実際に歩いて~
~

その場所で
しばらくのトキを
過ごしました
すると…
今までより
より・リアルに
より・楽しくおもしろく
そして
より・満足に
『吾輩は猫である』を読み進めることができるんです
同じ作品なのに…
チガウ作品のようです
例えば―――――
『吾輩は猫である』の「吾輩猫」の主人の家に
近所に住む、お金持ちの夫人が
訪問した場面
主人と迷亭(主人の友達)が応対します
お金持ちの夫人は特徴的な「鼻」をしていて
彼らは…彼女を「鼻子」と名付けます
客の「鼻子夫人」が帰ったあとの
場面と会話です
見送りに出た両人が席へ返るや否や迷亭が「ありゃなんだい」と言うと主人も「ありゃなんだい」と双方から同じ問いをかける。奥の部屋で細君がこらえきれなかったとみえてクックッ笑う声が聞こえる。迷亭は大きな声を出して「奥さん奥さん、月並みの標本が来ましたぜ。月並みもあのくらいになるとなかなかふるっていますなあ。さあ遠慮はいらんから、ぞんぶんお笑いなさい」
(中略)
ところへ細君が奥の間から出て来て、女だけに「あんまり悪口をおっしゃると、また車屋のかみさんにいつけられますよ」と注意する。「少しいつけるほうが楽ですよ、奥さん」「しかし顔の讒訴などをなさるのはあまり下等ですわ、だれだって好んであんな鼻を持ってるわけでもありませんから――それに相手が夫人ですからね。あんまりひどいわ」と鼻子の鼻を弁護すると、同時に自分の容貌も間接的に弁護しておく。
引用p105-106
『吾輩は猫である』夏目漱石
角川文庫
発行:昭和54年43版

「明治村」の夏目漱石の住居 撮影:2023年3月31日
客の「鼻子夫人」を
主人と迷亭は
座敷で応対して
「鼻子夫人」を見送ったあと…
座敷で
「鼻子夫人」の悪口を言っているんだろう~と思われます
そこへ
細君の笑い声が聞こえてきたのです
奥の部屋で細君がこらえきれなかったとみえてクックッ笑う声が聞こえる。
奥の部屋
細君は…たぶん
茶の間にいたんじゃないかな❔

明治村 撮影:2023年3月31日
漱石邸の部屋の「造り」はこんなかんじ👆だから
つつぬけに
会話は聞こえる…と思われます
おそらく~男2人も
細君が聞いてることに気づいてたんじゃないかな❓
きっと
細君は…
男・芸人タチの…「観客」だったんだよ…😁…
また…こんな場面もあります
主人は縁側へ白毛布を敷いて、腹ばいになってうららかな春日に甲羅を干している
(中略)
細君は主人に尻を向けて――(中略)無言のまま子供の袖なしを熱心に縫っている。
(中略)ここで夫婦げんかがはじまる
細君少々ぷりぷりする(中略)
細君は袖なしをほうり出して主人の方にねじ向く。返答次第ではそのぶんにはすまさんというけんまくである。
(中略)
門口のベルが勢いよく鳴り立てて頼むと言う大きな声がする。
(中略)
細君はけんかを後日に譲って、倉皇針箱と袖なしをかかえて茶の間に逃げ込む。主人は鼠色の毛布を丸めて書斎へ投げ込む。やがて下女が持ってきた名刺を見て、主人はちょっと驚いたような顔つきであったが、こちらへお通し申してと言いすてて、名刺を持ったまま後架へはいった。
引用p133-137
『吾輩は猫である』夏目漱石
角川文庫
発行:昭和54年43版
㊟
倉皇(そうこう)
あわただしいさま。あわてふためくさま。いそぐさま。
引用:広辞苑
㊟
後架(こうか)
禅寺で、禅堂のウシロにかけ渡して設けた洗面所。
その側に便所があり、転じて便所の意になる。
引用:広辞苑

「明治村」の夏目漱石の住居 撮影:2023年3月31日
主人は縁側へ白毛布を敷いて、腹ばいになって
細君は主人に尻を向けて――
主人は縁側にいて…
細君は縁側に近い…座敷に座って
子供の服を縫っているんじゃないかな❓
ソコへ…急な来客…
細君はけんかを後日に譲って、倉皇針箱と袖なしをかかえて茶の間に逃げ込む。
細君は…座敷にいて
隣の…茶の間に逃げ込んだ
主人は鼠色の毛布を丸めて書斎へ投げ込む。
おそらく~
縁側から⤵書斎の窓に
毛布を投げ込んだんじゃないかな❓

明治村 撮影:2023年3月31日
実際に…家を見ると…👀…
縁側から書斎の窓は…近い😲
見取り図では…
家の中からだと…
書斎と…座敷や縁側は…遠いけど
縁側からは…書斎の窓は…近いんだ😲
このような
『吾輩は猫である』の
主人と細君の
軽妙なやりとりの場面を読むと…
留学先から
漱石が
「おれの様な不人情なものでも頻りに御前が恋しい」
コンナコトを
鏡子夫人への手紙に書いている「気持ち」が
わかるような気がする
それに対して
鏡子夫人は…
「私もあなたの事を恋しいと思ひつゝけている事はまけないつもりです」
そう~返信してるんだ
ステキな
ご夫婦だよねーー

鏡子夫人は
漱石に対して
打てば響く⚡🔨対応をする人だったんだろーーねーー😁ーー
だから…
留学先で…漱石は寂しかったんだよ…きっと
「明治村」の「猫の家」に行ってから~読み進める
『吾輩は猫である』は…
なんだか~
初めて読む本📖のような
気分になった
。。。。。
むかし~昔~
大学受験の時~
『夏目漱石』研究なら
東京の大学
『万葉集』研究なら
奈良の大学
ソー思いました
とにかく
ソーじゃなきゃダメだ❕
と思いました
。。。。。
「教育学部」には
行きたくなかった
「中学教師」として
働いたくせに😅
「日本語学科」にも
行きたくなかった
「日本語教師」として
働いたくせに…😅
「語学」ではなく
「文学」としての
日本語が好きだったから
志望大学は…
「国文学部」一択だった
実際に「教師」として働いてみると…
「教育学部」~とか
「日本語学科」~とか
仕事上では
ものすごく有利だ
そう…実感した
でも…
「文学部」を選んだコトは…後悔しなかった
。。。。。
最初に受かったのが
奈良の大学だったので
迷いました
で…考えました…🤔…
実際に入学して…
途中で…
「万葉集」研究がイヤになった時…
「奈良」では『つぶし』が効かない
ソー思いました
京都なら
奈良から近いけど…
中古=京都の女流文学や短歌は
好きじゃなかった
近代文学なら
夏目漱石がイヤになっても
たくさんの作家がいる
東京だったら…『つぶし』が効く
ソー思いました
結局…
大学3年次
専門分野を選択するとき…
迷ったのが…
夏目漱石(近代文学)
と
兼好法師の『徒然草』(中世文学)
ナンデ~

ここに~

中世文学が出てくるんだあ~





自分で
驚きましたねーー😲
自分では
思いもよらない
自分の心境の変化だったのです
で…
ものすごく
悩みました
中世文学ナンテ…😲
こんなに好きになるとは
思わなかった…😔…
近代の作家・作品だったら
「夏目漱石」から変更したかもしれない
でも…中世って
東京の大学にきた意味がない😢
そのときは
ソー思ったのです
実際は…
修士論文を書いて
気づいたのですが…😅
兼好は
金沢文庫に滞在してるので…
ソノヘンの研究だったら~~~
おもしろかったかもしれない…🤔…
――ブログ――
でも…
なぜ





自分が
かたくなに

東京の大学に行きたい❕
ソー思ったか

ソノコロは
自分でも
ちゃんと説明できなかった😢
でも…
修士課程の講義で出会った
野田宇太郎の
『新東京文学散歩』
修士課程の講義で
野田宇太郎の『新東京文学散歩』を知って
その『答え』がみつかったのです

『新東京文学散歩』
野田宇太郎
野田宇太郎の『新東京文学散歩』には
おしまいのページに
次のような「覚え書」が👇あります

『新東京文学散歩』
野田宇太郎
人間を知るためにはその自然と環境をも知らねばならない。
私生活を理会せねばその文学を本当に理会することは出来ない。
東京こそは、実に近代文学史上に名を刻んだ殆どすべての人人の私生活の場であった。
だから、東京を知らずしては近代文学の真実に触れることは出来ない。
はじめてこの文章に触れた時…私は…
泣きそうになりました
東京を知らずしては近代文学の真実に触れることは出来ない。
私の
若い
のりちゃんの

未熟な判断と決断は…
正しかった

私は❕間違ってなかった❕❕
コレ…大きな…自信です😁
。。。。。
大学卒業後…数十年を経て入学した
修士課程では…
修士論文は
『徒然草』一択でした
学生時代…悩んだリベンジ
のつもりでした

私は…
専門が『徒然草』研究の教授の講義を…探しました
ラッキーなことに
放送大学の教授の専門が…『徒然草』研究だったのです
この教授のアドバイスは…
本当に🎯的を射た…的確なアドバイスで…
いろんな意味で
ラッキーな時を過ごせた…と思いました
大学卒業後…年月を経てからの
修士課程
修士論文執筆
人と比べると…かなり遅い…とは思います
仕事や
まして…お金には
まったくプラス効果の無い…
自己満足ダケの
「作業~時間」でした
でも…自分にとっては
今…コノ時だった
そう思うのです
そして…
その…中世文学の…修士論文執筆中に
出会った
『新東京文学散歩』
私は…
「徒然草」=中世文学の論文を書きながら
ここでは~なぜか~
~

近代文学の魅力に…取りつかれてしまった(笑)
不思議なモンです
「近代文学」の研究がしたくて
東京の大学を選んで…
その縁で…東京に住み…
修士論文は「中世文学」を選んだのに
その「中世文学」研究の過程で…
近世文学の魅力に気づき
「近代文学」の「宇太郎・後追い・東京文学散歩」を始めた
自分では
ソノトキの感情にまかせて
生きている…つもり…なのに
なぜか~
~

絶妙に
つじつまが合ってる
ヨーナ気がして

我ながら~驚きます(笑)
。。。。。
「明治村」に
野田宇太郎の「名前」の痕跡は…無い
…ように思う

けれど…
『吾輩は猫である』の「文学散歩」の場として
「猫の家」を残すコトを
東京の「猫の家」の移築に
尽力してくれたコトを
本当に
感謝してる

こういう人たちが…
日本の文化を守ってくれたんだねーーー
――ブログ――
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