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義経の追っかけ~吉野へ~平泉へ~壇之浦へ=「平家物語」文学散歩⑩


壇之浦の合戦で
平家を滅亡に追い込んだ義経

そんな英雄が

あっという間に
追われる身=お尋ね者=になります


そして…

吉野に隠れ…

奥州平泉に
逃れていきます





私…

義経が隠れていた…という
吉野の…『義経隠れ堂』にも行きました


1-隠れ堂1988吉野20210425_0017
撮影:1988年


吉野の金峯神社の近くに
隠れ堂という…修行場があります

この…お堂に入って扉を閉じると中は真っ暗になり
その中で修行するようです


この中に…義経は…隠れていた


しかし…

みつかってしまい…山奥に逃げます


1-1988吉野20210425_0019-西行
撮影:1988年


『義経隠れ堂』の先には

西行庵がありました


1-1988吉野20210425_0018
撮影:1988年


西行庵をさらに

こんな山道を…進むと


女人禁制の地に着きました



義経は
ここまで女装して逃げ

女人禁制の地に
逃げ込んだと言われています



私も😁

女人禁制の地に(誰も見ていないので)

数歩…👣…踏み込もうとしたのですが…🤫



鷲のようなデカイ鳥

頭上を舞い始めました



マズイ

危険だ



そう思って…逃げ帰りました




ちゃんと👀見張りがいるようです😅





義経は…

ここからどうやって
平泉まで行ったんでしょう❓



たしか~~お寺の方に
訊ねたような気がします



船でしょうね~

事も無げに…そう言われ…


そうだっ
船なら簡単に移動できる


今まで船で戦っていた人たちですから~


陸移動を考えると
吉野と平泉は遠いけど~

海上移動なら
楽勝~


あっけなく
疑問は解決したのでした(笑)




。。。。。




私…

その平泉にも訪れました



1-P7086468.jpg
金色堂の御朱印


平成2年=1990年12月28日

初めて
中尊寺…そして金色堂に行きました


1-P7086466.jpg
のりちゃんの御朱印帳


この…御朱印帳
中尊寺で買ったものです

名前も~書いてくださいました



モチロン
義経が自害した…高館…にも行きました





こう…書いていくとーー

まさにっ💛義経の追っかけですねーー(笑)





でも…

追っかけのセンパイはいますっ❕(笑)




義経…亡き500年後…


松尾芭蕉が
平泉・高館に訪れ____

涙を流してます



  三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。
秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。
まづ高館に登れば、北上川南部より流るる大河なり。
衣川は和泉が城を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。
泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、蝦夷を防ぐと見えたり。
さても義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時の草むらとなる。
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、かさうち敷きて時の移るまで涙を落としはべりぬ。 


      夏草やつはものどもが夢の跡 


      卯の花に兼房見ゆるしらがかな   曾良



『おくのほそ道』 松尾芭蕉




。。。。。




なぜ~

義経は平泉に逃げたのか❓


また

なぜ~

平泉の藤原氏は義経を助けたのか❓



1-藤原氏-2
奥州藤原氏


前九年の役と後三年の役を経て…

藤原清衡が
奥州を統治することになり…

藤原4代
百年間の

奥州・藤原氏の繫栄となりました




どうして~

藤原清衡が
奥州・平泉を統治することになったかというと…





前九年の役は…

安倍氏と清原氏の戦い

清原氏が勝ちます


藤原清衡の父は…藤原経清
母は…安倍氏の娘

つまり…
清衡の父は…

安倍氏の娘を嫁にするほど
安倍氏の重鎮だったワケです



だから
安倍氏が戦に負けると…

その重鎮だった…清衡の父=藤原経清も殺された


そして
母は…

戦に勝った清原氏の後妻になるのです



女は
戦勝品だったのですね~😢

人質だったのかもしれません



清衡は…

自分の父を殺した人を
『父』と呼ぶ生活になります



そりゃ~フツーに考えて~😔~

戦争が起きますよね~



で…

後三年の役がはじまった



で…
後三年の役で

源義家

清衡の味方になるのです



で…

清衡は
清原氏に勝ち…

奥州藤原氏の
第1代目となるのです



1-義家
源氏の系図



源義家は…


頼朝&義経兄弟の
おじいちゃんのおじいちゃんに当たる人です




平泉の藤原氏には
義家に恩がアッタ


義経が…
恩人の義家の子孫だから
助けたのです


義経も
ソノコトを…知っていたから
藤原氏を頼ったワケです




ただね…😁


裏には
ものすごい…駆け引きがアッタわけですよ





奥州藤原氏は
すでに3代
百年も続いている一族


1代目 藤原清衡
2代目 藤原基衡
3代目 藤原秀衡


前九年の役・後三年の役と
長い戦争のあとの藤原一族の統治


ようやく訪れた平和を願って

1代目 藤原清衡が建立した
中尊寺・金色堂


2代目 藤原基衡も
強力な政治家だったらしい


3代目 藤原秀衡も
ものすごく賢い…思慮深い人だったと思う



立派な政治家が三代もつづくって

スゴイねーー😍



そして
藤原一族には…

平和を願う
中央の朝廷との『平和共存』の意識が
強くあった




1-奥州藤原-歴史


実際
藤原秀衡は
陸奥守に任命されていて

奥州の支配権を
事実上公認❔されている…かんじ


すでに1代目・清衡の頃から
朝廷にドッサリ贈物をしていたらしい


つまり
奥州・藤原氏は
お金持ちの一族だったワケ


だから…
朝廷からは
イロイロ黙認されていたらしい



秀衡への「源頼朝・追悼」の院宣の流れも…

平家からも
源氏からも

奥州が手を出されないための
秀衡の外交戦略のかけひきだった…みたい



㊟院宣

「院の宣旨」の略。
院司が上皇又は法王の命令を受けて出す公文書。

引用:広辞苑




そのころ…奥州は
日本の半国もある…と称されていた

そんな奥州を
百年も統治していた
藤原一族

経済的基盤もあったし
家来の武士からの
信頼・忠誠心も厚かった


すでに…奥州は
独立の別天地と考えられていた❓



それに対して
頼朝の組織力・経済力はどうだろう



私は…

専門が…文学部国文科の
シロートの
勝手な憶測だけど

当時の奥州・藤原氏相手だったら

源頼朝は敵わなかったダローと思うんだなーー





本来なら
強力な味方だった義経

その義経を排除した頼朝


その義経が
平泉にいることが判明したので

頼朝は
義経の身柄引き渡しを要求する



 義経が平泉にいることが判明したので、頼朝は京都に申し入れて秀衡のもとに使者を出させた。頼朝の使者も同道した。身柄の引き渡し要求のためである。秀衡は平然と、別に悪気があるわけではないというだけだったという。義経がいないとは言わない。天下のおたずね者をかくまっていて、別に悪気がないとは人を食った言い分である。鎌倉側が「秀衡すでに用意の事あり」と判断したのは当然である。
 秀衡はハラを決めていたのである。みずから求めて、頼朝と争う考えはない。譲れるだけ譲って、平和共存を求めた。しかし、秀衡は奥羽独立の武門としての名誉まで譲る意志はなかった。栄誉ある北方武門の独立。それは至上命題である。義仲を滅ぼし平氏を滅ぼした頼朝が、最後に目ざしているものが平泉独立の否定であることは明らかであった。これは妥協の余地のない実存と実存の対決である。義経問題は今や頼朝対義経の問題でなしに、義経をめぐる頼朝対秀衡の問題になってきていた。それがはっきりした以上、義経をもだきこんで、平泉の軍事力を最強のものにして、鎌倉に対しても、力による解決は不可能であることを、力の充実によって知らせるのが、最良の外交になる――これが秀衡の考えだったのである。秀衡はロマンティストではない。冷静に計算できる人である。源九郎をもう一度、義仲を滅ぼし平氏に勝った、あの名将に復位せしめる道を知っていた。頼朝がかれに与えた兵士を、頼朝に代わって提供する。頼朝が義経の背後にあって、これをオーソライズしていた政治の後押し。これも秀衡が代わってやる。そうすれば、義仲や平氏に対して持った鎌倉の威力を、逆に平泉が鎌倉に対して発揮できる――政略家秀衡は冷静にそう判断し、この計算に立って義経を平泉に迎え入れたのである。
 
歴史新書=7「平泉―奥州藤原四代」引用p148~149
教育社歴史新書<日本史>7
著者:高橋富雄
1978年 第一刷
1985年 新装第一刷
発行所:株式会社 教育社




藤原秀衡の…

聡明さ
かけひきのうまさ
優れた政治力


スゴイねーー😲




しかし…

秀衡は…亡くなってしまう



 文治三年(1187)十月二十九日。王者秀衡は死んだ。その死に臨み、秀衡は次のように遺言した。義経を大将軍として国政をとらせよ、国衡・泰衡兄弟仲良くし、義経を主君としてこれに仕えよ

歴史新書=7「平泉―奥州藤原四代」引用p149~150
教育社歴史新書<日本史>7
著者:高橋富雄




秀衡の政治力は
だれにでもできるものではなかった

大黒柱の秀衡を失った藤原一族

平泉の動揺を見すかして、
頼朝が攻勢をかけてきた



 足もとを見すかして、頼朝からは矢継ぎ早に攻勢がかけられてきた。義経は朝敵である。早くこれをからめ進ぜよ。猶予すれば同罪として、いっしょにお前も追悼する。
 平泉の世論は分裂した。

歴史新書=7「平泉―奥州藤原四代」引用p150
教育社歴史新書<日本史>7
著者:高橋富雄



1-奥州藤原-滅亡



平泉は分裂した



頼朝と協調して
義経を排除することで
平泉の独立を守ろうとした

泰衡と国衡



義経を大将軍として国政をとらせよ

この秀衡の遺言通りに
平泉の独立を守ろうとした

源義経と忠衡



奥州・平泉の独立を守る…という目的は同じなのに

平泉は…二分して戦った


泰衡と国衡源義経と忠衡


泰衡が勝ち


源義経が自害し

忠衡も討たれる



そこへ
源頼朝の奥州・征伐がはじまった



泰衡は戦わずして…殺され…

奥州・藤原氏は滅亡した



奥州・藤原氏が
二分して戦わなかったら~
仲間割れしてなかったら~

歴史は
ものすごくチガッタ…と私は思う



コノ
奥州・藤原氏の滅亡を
教訓としたのが…

明治維新のときの…

徳川慶喜だったのではないか❓

私は~そう~思った



徳川慶喜は
日本が二分して戦うことを望まなかった


山岡荘八の「徳川慶喜」6巻

👆コレを読んだとき
ものすごく感動した



動かざること山のごとし




アノトキ…

徳川慶喜が動いていたら~
日本が二分して戦っていたら~

奥州・藤原氏のように
今の日本はナカッタ…と私は思う




――ブログ――






今の日本において…


義経はダレなんだろー

頼朝はどこの国ナンダロー



ソンナコトを
下関・壇之浦で考えていたら…


その地元の政治家が
暗殺されてしまった




自分が生きている間に…
コンナコトが起きるとは思いもよらなかった…





今は
平時じゃないねーー





日本は…

奥州・藤原氏のよーに
なるのかねーー






=つづく=






――関連ブログ――

≪下関≫






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