森鷗外と紀貫之がつながった❕:「宇太郎」文学散歩⑯
- 2021/12/03
- 00:05
最初は…まったく
注目していなかった『於母影』の「口絵」
訳詩集『於母影』が
妙に…音楽的な🎵…詩集…だと感じたトタン💨
「口絵」の意味が
わかりました

訳詩集『於母影』の「口絵」
関良一「『於母影』解説」が委曲を尽くしている。
手前の童子は三味線を、奥の童子はバイオリンを弾いており、その中間には西洋の楽譜とそれをのせる台、それに琴・琵琶・横笛・鼓・竪琴・チェロなどが描かれている。真中の童子は日本の舞扇の後ろからのり出し、洋風の楽譜を手にして何か歌っている。その歌い手の童子には口ひげが生えており、当年の鷗外の似顔絵になっている。(『逍遥・鷗外 考証と試論』昭46.3所収)
関氏は、この意匠から、「鷗外が新声社のリーダーであること、また和洋複合の、日本語に異国情調を盛った、あるいは西洋の詩だが十分に日本の詩としてこなれている詩集というねらいが表現されている」と分析したが、首肯すべき意見であろう。西洋の詩(洋風の楽譜)であるが、その調べは西洋(バイオリン)と日本(三味線)と、両方の伴奏にも調和のとれた新しい声の響きを有しているというのである。なお、扇に書かれた題字は直文筆という(井上通泰「故落合直文君」)。
『森鷗外・於母影研究』
「書誌的考察」古郡康人
p261より引用
㊟委曲=いきょく
くわしくこまかなこと。
引用:広辞苑
私は…
最初は「口絵」には
まったく❕注目=👀=していなくて…
「目次」と「口絵」の間にある…セロハン紙を
「口絵」のほうにかぶせてコピーした…という

『於母影』復刻本のコピー 「目次」と「口絵」のページ
最初の日の…コピーです
「目次」と「口絵」のページの間には
セロハン紙が挟まっていました
おそらく
「口絵」を保護するための紙でしょう
私にとっては
👈左の「目次」の文字のほうが…大切
だったので
セロハン紙は
「口絵」にかぶせて…コピーしました
だから
「口絵」は…ぼやけたコピーになっています😢
『於母影』「目次」
しかし❕
『於母影』の…
「目次」=詩のタイトル…だけを眺めていても…
「月光」からは
ベートーヴェンの「月光」という『曲』が思い浮かぶし~
「あしの曲」は
タイトルが『曲』だし~
実際…「月光」「あしの曲」の作者レナウは…
詩人であるけれど
芸術家としての才能は音楽的🎵だったようです
「笛の音」も『笛=楽器』だし~
「鬼界島」は平家物語だから…『平曲』だし~
サスガにニブイのりちゃんも~
ココに至って
ようやく「口絵」に注目=👀💦=
ええっ~~💨
『於母影』って
ミュージックじゃん🎶
あわてて
森鷗外記念館の図書室に
再度…「口絵」のコピーを取りに行ったワケです~
~

で…
訳出作業時の…喜美子の回想の言葉をみつけるに至っては…
喜美子の回想にいう、「お兄様が文字と意味とをいつて、それぞれにお頼みになります。中には意味だけいつて、お自由にと仰しやるのもありました」(『鷗外の思ひ出』昭31.1)
『森鷗外・於母影研究』
「書誌的考察」古郡康人
p260より引用
まるで😲
鷗外は…指揮者だぁ~

ここは…コンナフウに弾いて❕
ここは自由に演奏して…
そう~♪♬~指揮者が
演奏者に指示しているように…
私は感じたのです
そういう思いで…「口絵」を見ると…👀
S.S.Sメンバー
『於母影』の作者=訳者たちは
リーダーの鷗外が指揮者で
自分たちは演奏者のつもりで…訳していたのかもしれない🤔
そんなふうに
思われてきました
ちなみに
S.S.Sメンバー=『於母影』の作者=とは👇
『於母影』が載った『國民之友』第五八号の目録(内容目次)に、作者名として紹介された〈S.S.S〉とは〈新声社〉の略である。
結成時期は、明治二二年春頃と推定され、「其目的と云ふものは、畢竟文学の研究であるけれども、当時の問題は、日本の歌に韻があるかないかと云ふ事の研究であつた」(井上通泰「故落合直文君」『明星』明37.2)といい、韻・平仄など漢詩の形式にもとづき、和洋の詩について議論がなわれたことが窺える。『於母影』訳者となった同人についていえば(中略)若々しいメンバーによる会合であった。
『森鷗外・於母影研究』
「書誌的考察」古郡康人
p259より引用
S.S.Sメンバーとは…
明治22年(1889年)当時の年齢
落合直文 28歳(1861年生)
森鷗外 27歳(1862年生)
市村仙太郎 25歳(1864年生)
井上通泰 24歳(1865年生)
小金井喜美子 18歳(1871年生)
其目的と云ふものは(中略)
日本の歌に韻があるかないかと云ふ事の研究であつた
とあるように…
つまり…
『於母影』の翻訳の目的が
韻・平仄…といった
音🎵…への研究だった♪♬
だから
私は…
『於母影』を…音楽的な詩🎵…と感じたのね~🤔
しかし❕
鷗外のスゴイところは
音🎵にこだわって
『訳詩集』の内容が…テキトーだったワケではない…トコロにある😲
『於母影』の世界
1 冒頭の「いねよかし」にみられる故郷をあとに流離する男性像は、掉尾の「別離」にも継承され、いわば首尾照応する。(中略)
2 原作を唯ひとつ日本の古典からもとめた「鬼界島」の詩から死のテーマが現われ、この「鬼界島」を境に前後を分けると、前半の最後「わかれかね」と後半於最後「別離」とはともに別れをテーマとする。(中略)
3 「現代諸家の小説を読む」(明22.11)で鷗外が評したように、「ミニヨン」には「南欧、温和の風景」、「あしの曲」には「北天、凄冷の物色」を想起するといった対比があり、それが前半と広範囲それぞれ配される。「ミニヨン」には男を慕う少女ということで後半の「オフエリヤ」との対比もある。
『森鷗外・於母影研究』
「書誌的考察」古郡康人
p265p266より引用
㊟掉尾(ちょうび・とうび)
物事の文章終わりに至って勢いのふるい立つこと。転じて、最後。とうび。
引用:広辞苑
なんだか~日本語の文章なのに辞書=広辞苑を引きながら解読
語学の勉強をしているような気になってきた(笑)
「日本語」って奥が深い
義務教育において
「日本語」=「国語」の授業を
減らしている場合じゃない
と思うんだけど…

(マタ…脱線してる
)

『於母影』「目次」
『於母影』の世界…を読んでわかったコトは…

共通するテーマがある
そのテーマは「別離」だけど
故郷への「別離」から
「死」による「別離」
へとかわってゆく

温かい寒い…風景の対比
異性を慕う…という対比
「あしの曲」前後の詩篇
『於母影』を通読してみると、異郷の地にあって故郷に帰りたいと切望、果たさずして非業の死を遂げた俊寛のすがたを記す「鬼界島」あたりから、死のテーマが現れてくるように思う。続く「わが星」は、浪漫的憧憬「と表裏した人生への絶望と虚無、そして死への志向が窺える詩篇であるし、漱石「夢十夜」の第一夜をおもわせる「あるとき」は、自らの死後における再開の情景を語る女を配して、現実世界に生きる男と、非現実世界の夢の中にある女とが会する、いわば秘密の花園としておくつきが捉えられていた。「オフエリヤの歌」が恋人の死を述べているものであることは言うまでもない。(中略)「あしの曲」は、上述の「わが星」と「あるとき」を前後におく詩である。そしてこの三篇は共通して〈星〉と〈夕暮れの風〉とが描き出されているのである。『於母影』には配列意識が明確にあるのではないか、ということの一つの傍証として指摘しておく。
『森鷗外・於母影研究』
「あしの曲」古郡康人
p147より引用
㊟おくつき
墓所
引用:広辞苑
『於母影』には配列意識が明確にある
訳詩集『於母影』は…
単に…西洋の詩を訳して紹介した作品ではなく
全体で
1つの作品📘になっている
それぞれの詩は…
作者もチガウし
原語もチガウ
それなのに
その~配列にもこだわった
1つの作品になっている
ああ゛~
まるで❕
『古今和歌集』みたいだっ





紀貫之が撰者のっ❕
つまり、『古今和歌集』の各歌はそれぞれが独立性のある「個人の創作」であるにもかかわらず、全体は「撰者によって創作された一つの作品」になっているというのである。そのため、『古今和歌集』を通読すると、連続性がある配置になっている。
のりちゃん修士論文より引用
私の中で…
紀貫之と
森鷗外が
つながった…😲
。。。。。
半年ほど前に
『森鷗外』がテーマの歌を知った
撮影:『ELEPHANT KASHIMASHI ベスト盤』歌詞カードより引用
「歴史」…という
鷗外…がテーマの歌を知って
ブログに書いた記事が…コレ👇
遠い昔・・・
漢字と
そして
漢文学を
日本に紹介してくれた人たち…がいて
そこから
日本の
『書き言葉』の文化がはじまり
『文化』継承が可能になった
そして
中古の時代になった・・・
おそらく
漢文のほうが得意であったと思われる
紀貫之
男もすなる日記といふものを
女もしてみむとてするなり
という「書き出し」ではじまる
仮名でつづった『土佐日記』
デキタテの和文字=仮名を
駆使して綴った『土佐日記』
当時…「仮名」はデキタテの文字だった
まるで
明治の日本人が
英語で日本文学を綴るように
新しい文字で綴ったのが
『土佐日記』だった~?~と思う
紀貫之の作品は
「仮名」の普及への多大な貢献につながったであろうと
私は…思っている
その後・・・
日本にとって
日本人にとって
日本文化にとって
「仮名」がどんなに貴重な存在になったか
いうまでもない
中世の時代になった・・・
中風の~震える~痛みのある手で
古典を書写した晩年の藤原定家
今のように
カメラ…や
コピー機…や
スキャナー
がない時代・・・
自分の思い出の品を
スキャンする作業でさえ
けっこう大変な作業である
藤原定家の書写がなかったら
多くの…日本文学作品が
失われていた…と思われる
そして明治・・・
開国・・・文明開化・・・
西洋の文学を
翻訳した
森鷗外
外国語がわからない
一般的な日本人に
西洋文学を伝えてくれた
文学を伝える…ということは
思想や考え方を伝える…ということ
鷗外は
メチャクチャ忙しかった…と思う…
自分の創作活動もしたかっただろうし~
軍医としての仕事もあったろうし~
その限られた~人生の時間の中で
翻訳のための時間を割いてくれたコト
コレって・・・
ものすごく
感謝しなくちゃいけないコトだ
と思った
外国文学を
外国文化を
原語で知ることがデキナイ~日本人が
翻訳によって
知るコトがデキタのだから…
その~知るコトがデキタ日本人の作品を
今~我々は手に取っている…
文学作品…というと
どうしても
『創作』に
目がいってしまう
私は――そうだった
『創作』のほうが優れている
そう――思っていた
しかし・・・
この
先人たちの…
文化=文学=新しい思想
そういったモノを
伝え、普及させた業績
縁の下の業績
だけど
偉大な功績
もっと感謝しなくてはならない
そのコトに・・・
修士課程を学んで
気づいた
――ブログ――
。。。。。
私の修士論文の研究テーマは…『徒然草』だった
フツー
『徒然草』研究だと…
『枕草子』『源氏物語』と関連づけて
論文を書いていく
私も最初はそのつもりだった
しかし
執筆の途中で…
私は…
紀貫之…に出会ってしまった
立川の…国文学研究資料館…でみつけた
私にとっては
宝の資料
⛰



――ブログ――
その…発見した
宝の資料
によって…


論文のタイトルは
『徒然草』の源泉としての紀貫之
と変更になり…
各章のテーマが
第1章 「枕草子」
第2章 「古今和歌集」
第3章 「伊勢物語」
第4章 「土佐日記」
『徒然草』研究~ナンダカ
『紀貫之』研究~ナンダカ
ワカラナイヨーナ論文になってしまった😅
ちなみに…
「伊勢物語」は
作者・在原業平といわれているけれど
現存するスタイルにまとめたのは
紀貫之だと…私は思っている
鷗外の歌…を知ったトキに…
森鷗外と
紀貫之とを
ブログを書いたけれど…
アノトキはまだ
紀貫之と
森鷗外と
明確には
リアルには
つながっていなかった
どちらも新しい文化を
日本に広めた


でも
今回…
『於母影』と『古今和歌集』とが
妙に…
つながってしまった
紀貫之…868頃-945頃
森鷗外…1862-1922
千年にひとりの逸材ってことか…
同時代に生きるコトがデキタならーー

ワタシの能力ではスゴサがワカラナカッタろうねーー😢
=つづく=
――野田宇太郎の後追い「文学散歩」――
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