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『土佐日記』の鳴門・文学散歩


2018年12月に…
修士論文を完成させ
提出しました\(^o^)/


もうすぐ…口頭試問があります


今年こそ卒業したいなぁ…(笑)






。。。。。


私の論文のテーマは『徒然草』です

でも…ナゼカ…
『土佐日記』が出てきます(笑)


論文の論点が…
『徒然草』の作者・兼好における「紀貫之」の影響
なのです


で…

紀貫之といえば…『土佐日記』です
(こじつけのようですが…こじつけではありません


私の論文の第4章が『土佐日記』で…
65ページから104ページまでを占めます
800字詰めの用紙で39ページ分ですから
私の論文の中でメインの章になります



というわけで…


口頭試問の前に
『土佐日記』ゆかりの地・徳島県鳴門を訪れたかったのです




。。。。。


紀貫之は…
『古今和歌集』の代表撰者です

当時できたばかりの平仮名を使って
『古今和歌集』仮名序も書きました

紀貫之のような…当時の文化人にとっては
使い慣れた中国語の漢文のほうが簡単だったと思われます

それでも…新しくできた平仮名を使いこなし
和文で仮名序を書くという…
紀貫之はかなりの秀才だったわけです


ところが…

紀貫之はあまり身分が高くなく…

ということは…
名声のわりには経済的に恵まれなかっようなのです


『古今和歌集』の代表撰者ですから
『古今和歌集』完成後は…悠々自適

と思いがちですが…

そうではなく…

『古今和歌集』完成後は…またもとの職場に戻ったようなのです

モチロン、その後の出世は順調に出世していますが…
もともとスタート地点が低いのでそれなりの出世しかできなかったようです


ですから…

ナント土佐守になったのは
紀貫之60歳の頃でした


貫之は結婚も遅く
51歳ごろ結婚したようです
男の子と女の子が生まれ
生活のために土佐守の職を願いでたようなのです


それなのに…京都で生まれて土佐に連れて行った女の子は
土佐で亡くなってしまいます

それも…
貫之の土佐守の任期が終了し…交代する国司の到着を待っている間に
食中毒のような病気で亡くなってしまうのです


大津より浦戸をさして漕ぎ出づ。
かくあるうちに、京にて生まれし女子、国にてにはかに失せにしかば、
このごろの出で立ちいそぎを見れど、何事もいはず。
京へ帰るに、女子のなきをのみぞ悲しび恋ぶる。

『土佐日記』より



このように…『土佐日記』には
娘の死を悼む場面が何度も出てきます

『土佐日記』から窺える紀貫之は…
私が今まで想像していた紀貫之・像とはかなり違っていました

今でも…60歳で中央から四国へ転勤…となれば
かなりの覚悟が必要なのではないでしょうか…


学生時代…
私の四国の友人が

四国は海外だといわれるんだよ

と、ぼやいていました…


現代でもそんなかんじですから
貫之のころ…
今から1100年も前のことですから…

京都から土佐ナンテ…

今でいうと…

太平洋を渡っての南米赴任のような
遠い遠い海外への赴任~🛫~

のように…
私は思っていました



ところが…

徳島に行って見ると…


鳴門市の渦の道(遊歩道)から撮影



飛島


徳島県から

和歌山県が見えるぅ~



鳴門市から和歌山県を望む 撮影:2018年12月31日


このくらいの曇り空でも
四国の鳴門市から和歌山が見えるのですから

お天気のいい日だと…
もっとよくはっきり見えるでしょう~



『土佐日記』の旅程 村瀬敏夫・訳注『土佐日記』(旺文社)より引用


紀貫之は…

土佐の国府に近い、大津を出発して
鳴門の土佐泊まで
ずっと…四国沿岸を船旅するのです

トーゼン…ずっと四国の陸地は見えていたでしょうね~

最大の難関は紀伊水道を渡る…鳴門の土佐泊から和泉の灘までですが…


ここの海は…太平洋ですから…

私としては

遣隋使や遣唐使が…九州から中国大陸まで
命がけで渡った船旅を想像していたわけです


しかも…この海域は鳴門の渦が巻いている海なのです







鳴門の渦潮 (渦の道のチケット売り場の映像)



ところが…

その最大の難関の…四国の土佐泊から…

本州の和歌山県が見えるんです👀



私としては…

これは…

かなりショッキングな事実でした(笑)


つまり…

紀貫之の『土佐日記』の旅は…

陸地が見えなくなることが一切ない…
船旅だったわけです



京都から高知への赴任は…

四国を知らない地方の人間が想像するより
ずっと身近な土地への赴任だったように思いました


ちなみに…私は…

広島県の…
福山からも尾道からも厳島からも四国が見えたことはありません
(よほどいい天候の時は見えるかもしれませんが…)

広島県と四国の間の瀬戸内海を船で渡ると
島は見えなくなることはありませんが…
本州や四国は見えなくなります


鳴門から和歌山県が見えるような場所…
四国から本州が見えるような場所は…

私にとっての瀬戸内海ではなかったワケです



瀬戸内海の地図
黒字の…徳島と書いてあるあたりが鳴門です


改めて…
瀬戸内海の地図を…
じっくり眺めてみました…


どうやら…
本州の広島県から四国よりも
四国の徳島県から本州の和歌山県のほうが
近そうです(笑)


まぁ…
広島県の瀬戸内海は
島がたくさんあって島が邪魔して四国が見えないんでしょうね~(笑)


そういえば
野呂山(広島県呉市)に登った時には…
四国が見えたような記憶があります



口頭試問では…

論文に書いた論調ではない…
『土佐日記』感を答えることになるかもしれません(笑)



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コメント

No title

> 夕顔さん
昨日が口頭試問で…今日は死んでいました(笑)

試験の後で教授とゼミのお茶会があり、土佐泊と大塚美術館の話をしたら、教授からもほめられ?ました(笑)

No title

その土地の歴史を知っていると、旅行が楽しくなるな~。
美術館のために宿泊ってすごいな~と思っていたらなる帰省も兼ねていたのですね~。
しかも論文のためでもあるなんて一石三鳥ですねっ♪
その土地に行って新たな発見をしたら、歴史が変わっちゃったりして。
口頭試問が楽しみですね~^^

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